1910(明治43)年11月に最初の木造共同住宅「上野倶楽部」が落成した。上野公園に隣接した花園町1丁目(当時)に建つ、木造5階建60戸の洋風の外観を持つ賃貸アパートで、洗面、浴槽、電話は共同で、入浴時には居住者が実費を負担した。居住者は、官公吏、会社員、教師が主で、「カナリヤ」という有名な童謡を作詞した西条八十がここに住んでいたといわれている。
鉄筋コンクリート(RC)造の共同住宅が日本で初めて建てられたのは、大正5年、三菱鉱業が長崎県高島町の端島(軍艦島)に建設した「炭鉱住宅」である。この共同住宅の用途は社宅(給与住宅)であり、一般のアパートとしてRC造の共同住宅が最初に建設されたのは、大正12年に当時の東京市営アパートとして建設された“古石場住宅”である。
戦前のRC造共同住宅の多くは、同潤会が建設したアパートである。大正12年9月1日に発生した関東大震災による罹災者の住宅対策事業実施機関として、大正13年5月に、義捐金からの出捐により設立された「財団法人同潤会」は、大正15年以降、東京、横浜の各地に耐火耐震のRC造のアパートを供給した。
東京都建設局による公的分譲住宅第一号が東京都渋谷区に完成。地下1階地上11階建ての「宮益坂アパート」は「天国の100万円アパート」と呼ばれた。一方民間の分譲マンション第一号は東京四谷の「四谷コーポラス」である。