明治維新以降、都会では西洋のいろいろな文化や技術が積極的に取り入れられ、大きな変化を遂げてきました。しかし初期のころは一般庶民の生活に、それほど大きな影響はなかったのです。新たに生まれた都市部の中間層の家庭でも、竈(かまど)や七輪(しちりん)で煮炊きをしたし、水道も一般的ではありません。それに、こうした家庭では、台所は主に女中さんが働くところでした。ですから暗くて狭い場所に追いやられたまま、新しい形や方法を取り入れるのは、後回しになっていました。 その後大正時代に入ると、電気、ガス、水道などが少しずつ普及していき、それが台所にもおよんでいきます。そして、この時期、効率的で衛生的な新しい台所の計画がさまざまなところで提案されるなど、台所をよくする運動が盛んになりました。東京では大正末期の関東大震災以後、アパート形式の集合住宅が建てられましたが、この台所は、立ったままで調理の作業ができる立ち流しスタイルです。関東地方の流しは一般的に座って作業をしていたので、画期的な変化となりました。 また農村で進められた住宅改善運動では、台所が中心となりました。特に竈の使用は、煙や煤(すす)が立ち込めて家の中が非衛生になるので、疲れやすく不便な座り流しとともに改善が提唱されたのです。 しかし、昭和に入ると、戦争への準備が庶民の生活を圧迫し、住宅の建設や規模が制限され、台所も同様に切り詰められるようになっていきました。
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