日本近世の江戸の町には、日本各地からたくさんの人がやってきました。人が集まる大きな理由は、各藩の大名が一年おきに江戸を訪れる参勤交代という制度。これによって、各地の武士が江戸の町に住み、それにともなって商人や職人もたくさんやってきたのです。そして、江戸時代中期(1720年頃)には江戸は100万人を抱える大都市に成長したのです。しかし、町の約7割は武士のための土地で、神社や寺の土地が約1割半、人口の約半分にあたる町人が住むための土地は、わずか1割半にも届かなかったのです。 そこで庶民の多くは長屋に住みました。この建物は細長い形をしていて、いくつかの壁で区切って、たくさんの人が住めるようにした住居です。大きな道路に面した建物は表店(おもてだな)と呼ばれ、比較的裕福な商売が営まれていて、長屋は、この表店の裏の路地と呼ばれる小さな通路に面し、軒を接して建てられました。商家の主人家族や年配の使用人は通りに面した表店で暮らしましたが、年季(ねんき)の浅い使用人や地方から出てきた職人などは、裏の長屋に暮らしていたのです。
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