住民活動から始まった川越のまちなみ保存
 15世紀半ばに武将の太田氏が城を構えた埼玉県川越市は、江戸時代になると、江戸と東北地方を結ぶ流通の主要都市としてたいへん栄えました。街道沿いには、大きな蔵づくりの商家が建ち並び、独特の風景をつくっていました。しかし、明治に入ると鉄道が通り、商業の賑わいは徐々に駅前の地区に移っていきます。
 第2次大戦後、高度成長期になると、まちの近代化が始まりました。そして、歴史ある古い建物の建て替えが検討され、住民たちの反対運動が起こったのです。そこで市は、かけがえのない古い建物を文化財に指定して壊さないようにしたり、建物をもつ商店主や地域住民との話し合いの場を設け、どういうまちにしていくかという話し合いを重ねました。そして1999年には、前回その1で紹介した伝統的建造物群保存地区(以後、伝建地区)になったのです。
 川越では、住民自身がまちなみ整備のルールをつくりました。それほど古い建物でなくとも伝建地区に建つ建物は、まちの雰囲気を壊さないように気をつけなければなりません。たとえば伝建地区のコンビニエンスストアは、屋根の高さや勾配、壁の位置などを周りの建物と合わせることにしています。新しいお店でも、川越らしさの生かせる柔軟なルールによって、まちなみに溶け込んだ建物になっています。

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