大正中期から昭和の初めの長屋
 大正12年の関東大震災以降、都市では水道が引かれて各戸に水がでるようになり、共同の井戸が使われなくなるという大きな変化がありました。そうなると、外の路地に出て家事をすることがなくなって、日常生活が住まいの中だけですむようになりました。そして玄関と台所を離し、次第に人目につかない裏側に台所を置く住まいもでてきました。玄関も単なる出入り口から「住まいの顔」として、考えられるようになったのです。そして江戸時代には見られなかった、装飾のついた屋根をのせたり、前面に塀を作ったりして、立派にみえるように工夫した長屋が登場してきました。

「明治から大正時代初めのころの長屋」「大正中期から昭和の初めの長屋」「昭和初期から敗戦までの長屋」へ