長屋と路地の暮らし
江戸の庶民の住まい|長屋の移り変わり現代の長屋
江戸時代、幕府がおかれた江戸(現在の東京)や、商業の中心地であった京都、大阪には人口が集中したため、限られた地域にたくさんの人が暮らす町ならではの住まいが考えられました。
それは「長屋」といって、木造の建物を、壁で仕切っていくつかの住まいにした集合住宅で、現代でも同じようなタイプの住まいを見ることができます。長屋がどんな住まいなのか、また、そこでの暮らしはどのようなものかを、ちょっとのぞいてみましょう。
江戸の庶民(しょみん)の住まい

江戸時代の長屋は、細長いひとつの建物の内部を簡単な壁で仕切っていくつかの住まいにしたもので、今でいう平屋のアパートのようなものです。1棟に5~12戸ぐらいの世帯が入っていて、大工や植木などの職人さん、ものを売る商人など、一般の庶民が、お互いに助け合って、暮らしていました。